はじめて落合陽一さんの本を読みました。
超難易度高いな~と感じました。
専門書まではいかないけど、決して万人向けでもないですね。
大学の教科書ぐらい難しいです。1回で理解するのは不可でした。
なので、何となく印象に残っていることと、腑に落ちたことだけをざっくりいきます。
20世紀=映像の世紀 → 21世紀=魔法の世紀
魔法っていうのは、どういうことを意味するのだろう、それで結局これからどうなっていくんだろうと考えながら、理解できずとも読み進めていきました。
前半は歴史で後半は今後どうなるかって話。
映像の世紀は、人間に合わせてメディアを設計する世紀。人間中心主義。映画やテレビなど。動く映像の始まりは、1891年エジソンのキネトスコープだが、こちらは一人の人間が穴を覗き込む形のもので、1895年リュミエール兄弟シネマトグラフ(世界初の撮影と映写の機能を持つ複合映写機)によって撮影された作品『工場の出口』で初めて、一度に大勢が映像を見ることを可能にした。その後映像技術と配信技術が普及し、より多くの人へより遠くの人へ伝えようとマスメディアが誕生します。メディアアートもこのあたりから発展します。
「リュミエール!」日本語吹替版本編映像:リュミエール工場の出口
魔法の世紀は、ひとり一人がプラットフォームを通して別々の映像をみる。ツイッターはじめSNSなどが例。魔法の箱=コンピュータありきの世界。人間とコンピュータの関係性の更新によって我々の世界認識が変化している。これから人間の感覚器の解像度を超えていく世界に入る。光が影響するのは視覚、音が影響するのは聴覚のような五感を超えてくる。*AR(拡張現実)やVR(仮想現実)がまさにそうですよね。
*ARが現実世界に視覚情報を重複表示させるもの(=ポケモンGO)、VRはVRはクローズドな世界にリアリティを高めた視覚映像を投影するもの(=3D映画やPSVR)。
僕はこの辺りを読んでいて、共感覚という言葉が浮かびました(特に意味はありません)。 まあ、そもそも「魔法」って一般的な人間の感覚を超えた超常現象を扱う、みたいなイメージを持っていたから、そういう意味では魔法の世紀と呼ぶのは腑に落ちるかと。
アートとテクノロジーとか、アナログとデジタルとか、視覚と聴覚とか、表層と深層とか、そういったあらゆる境界がぼやけてきて、だんだんなくなってくるんだろうな~、と思いました。
メディアアートに関しては、文脈のゲームとか原理のゲームとか、全然理解できなかったけど、とりあえず自分がアートだと思えばアートなんじゃない?ってことでいいのかな。
「魔法の世紀」はリアルとバーチャルの対比構造がコンピュータによって作り替えられていく世界であり、その未来の世界を表す固有名詞が「デジタルネイチャー」だそうです。
人間とコンピュータの関係性においては、人工物と自然物の二分法を超越した自然観を持たないといけない。人間とコンピュータは違う腹から生まれた同じような兄弟である、ぐらいの自然観が必要になる。これも境界がぼやけるという同じ話ですね。
わかるようなわからんような…。
さいごに。
Q. メディアアートとかデジタルネイチャーとか、よくわからんけど結局どうなるの?
A. マトリックスの世界がすぐそこまできているみたいだ!
ということしか、僕の頭では理解できませんでした。ごめんなさい。
とりあえず、ツタヤでマトリックスを借りてきました。多分それが一番理解しやすい気がします。
まだまだ日々勉強ですね。
最後までよんでいただき、ありがとうございました^^