人生とは投資であり、投資とは人生である。

楽しんでなんぼのこの世界。どこに時間を使い、どんな仕事をし、誰と付き合うか。すべては自分という資を投じる行為である。人生とは投資であり、投資とは人生である。日々悔いなく生きよう。

自己紹介「はじめまして。僕は何の実績もない人間です。」

 

はじめまして。「ほっとけさん」と申します。

 20代前半ぶりにブログを書いています。

 

 

  「僕の人生は、特別大きなエピソードもなく、何かで実績を残した経験もまったくありません。」

ほんとにどこにでもいるような人間です。 スポーツで県大会にすら出たこともなければ、勉強ができたわけでもありません。恋愛経験も少ないし、何度も仕事を変えています。昔から小手先がとても器用だったので、器用さでごまかして生きてきました。

  

 

 こんな方に読んでもらいたいです! 

・行動力がない人

・何をやっても続かないという人

・ニート・フリーター・引きこもり

・世の中つまらないという人

・基本的にやる気がない人

 

 

目次

 

 

 

 

【1歳、命の危機】 

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僕は、大阪府大阪市内の小さな病院で生まれました。

 

 1歳を過ぎたころ、自宅でガスストーブの上のやかんをひっくり返し、頭から熱湯を被り全身大やけどを負い死にかけました。たまたま隣室が看護師で応急処置をしてもらい、そのご救急搬送して一命を取り止めることができました。3回の外科手術を経て後遺症はなくなるが、左肩~ひじにかけて大きな傷跡が今でも残っています。

  

 

【幼少期~小学生】

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 やんちゃで我が強いクソガキでした。

年長の時には、友達2人とスーパー万引きして見つかり逃げ遅れた一人が捕まった時にその子を置いて逃げました。帰ったら僕と友達の母3人が待ち伏せしていて、その時僕は「あいつがお菓子盗んで捕まった!」と嘘をついて罪をすべて一人に擦り付けようとしました。

遊ぶ約束をしていても気分が乗らなくなったら居留守を使ってブッチしまくってました。

冬場学校に行きたくない時は、体温計を挟んでストーブの前へ行き、37.5℃ぐらいにして風邪を引いたフリをしました。 

めんどくさがりで自己中で嘘つきな子供で、そういう部分は現在も根強く残っているように思います。

  

一方で、とても内気で心優しい部分もありました。

親戚が集まったりするといつも、大人しくてしっかりしている、冷めていると言われていました。火傷で残った傷痕を人に見られることが恥ずかしくて、ものすごく強い劣等感を常に持って生きていました。プールの授業は死ぬほど嫌でほとんど見学し、4年生以降は一度も入っていません。(今でも全く泳げません)

 

 両極端な2面性を持った子供だったと思います。

 

 

【転機になった小学6年生】

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この1年間に大きな出来事が2つありました。 

母方の祖母の急死」と、「引越(転校)」です。2つというより、流れで1つかもしれません。

  

 僕は小学校に入ったころからおばあちゃん子で、連休や長期休暇はすべて祖母の家で過ごしていました。祖父は母が3歳の時に亡くなっているので、当時祖母は一人暮らしです。平時は普通に学校にも通っていたし、友達ともよく遊んでいましたが、基本的に僕は、昔から友達と遊ぶよりも家族で出かけるよりも祖母の家に行って一人でTVゲームをしているのが好きでした。

 

祖母は、日中は朝からお惣菜屋さんで働いて、夕方に一度帰ってきて18時から22時までは銭湯でパートで働いていたので、基本的には遊びに行っても一人で過ごす時間が長かったです。僕が朝目覚めた時には、いつもお小遣いをテーブルの上に置いてすでに働きに出ていました。夜は、低学年の頃は18時から銭湯の仕事について行って22時までそこで遊んで入浴を済ませて一緒に帰ってました。高学年になると22時に行って入浴だけ済ませて祖母と一緒に帰ってました。その祖母の家での生活リズムは、亡くなるまで変わることがありませんでした。何といっても小学生の僕にとって最も幸せな時間だったからです。今振り返っても、この時より幸福な時間はないと断言できます。

 

おばあちゃんの家に行く日が近づくと、楽しみで仕方なくて毎日カレンダーを見てカウントダウンをしていました。逆に帰る日が近づくと、嫌で嫌で夜布団の中で泣いていた記憶があります。 本当におばあちゃんのことが大好きで、親よりも何でも話せる唯一の存在だったように思います。

 

そして僕が6年生の5月のある日。

 

自宅の電話が鳴り、一人で留守番をしていた僕が出ると、祖母の家の隣人からでした。「おばあちゃんが倒れたから、お母さんの職場の電話番号を教えてくれる?」と尋ねられました。 番号を教えてから祖母の容体を聞きましたが、その方は気を使ってくれてあまり深刻なことは言わないでくれました。まさか命が危ないなんて想像もしていなかった僕は、そのあと遊ぶ約束をしていた友達と一緒に釣りに出かけました。遊んでる間もずっと気になって仕方がありませんでした。

 

帰宅すると、ちょうど施錠して外出する家族(父母妹)と遭遇して、「おばあちゃんが危ないから今から病院に行く」と言われて、そのまま一緒に直行しました。病院に着くと、祖母はすでに昏睡状態で意識はなく、何度も呼びかけましたが、しばらくしてそのまま亡くなりました。脳梗塞でした。

 

 その瞬間の物理的状況は覚えていますが、心理的な部分は言葉にできないです。涙が流れたのは確かだけれど、悲しくて泣いていたという感じではありません。そして、あの時電話のあとで遊びに行ったことをとても後悔しました。「もっと早く会いに行ってあげてたら、おばあちゃんは助かっていたかもしれない。」と長い間抱え込みました。

この時期は本当にきつかったです。

 

 時間が経つにつれて、

「心のよりどころが無くなったんだなあ・・・」

「あの幸せな時間はもう二度とないんだなあ・・・」

と、徐々に実感していきました。

 

 そんな状態で3か月後の8月。

 

夏休みの後半に引っ越して、2学期から別の学校に通うことになりました。引越自体は祖母が亡くなる前から決まっていたことです。元々通っていた学校には楽しく通える状態ではなかったし、ある意味気分転換にもなるので、不安がありつつも環境が変わることには前向きでした。

 

ところが、そこで学校に馴染めなかったんです。いじめられたわけでもないし、特別トラウマになるようなエピソードもありません。ただその学校の雰囲気と自分自身の精神状態が重なったんだと思います。不登校になりかけましたが、毎日おなかが痛くなりながらも通いました。あまりにも辛くて修学旅行は欠席しました。6年の2学期で卒業が近いのですが、中学校もそのまま上がるだけの小さな地域だったので、中学卒業まで環境を変えられない状況でした。転校してすぐに不登校になりかけたものの、その時の自分には通うしか選択肢がありませんでした。

 

 この時期は両親のことを心の中で憎んでいたと思います。特に父に対しては、水商売をしたり、少なくとも2年に1回は転職していて結構フラフラしていたので、軽蔑していたように思います。そして、この頃「親の都合で自分の人生を左右されるのは嫌だ!」と思うようになりました。

 

でも一方では、自分の意志で環境を変えうることなど頭にありませんでした。「高校を卒業したら、一人暮らしをする。自分の力で生きていきたい」ぐらいに考えていたと思います。自力で・・・と言いながらも親に依存しないと生きていけない現実とのギャップには、大学を卒業するまで苦しんだと思います。

 

おそらく6年生ぐらいから、幼少期のやんちゃな部分がほとんど消えてしまい、物静かで弱気な部分が人格の大半を占めるようになりました。そのせいか、外面はとてもまじめそうに見られる反面、内面はめんどくさがりで活気がなく、冷めた部分がどんどん強くなっていったように思います。

 

【一人暮らし、ぐぅたら大学生】

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高校卒業後1年間の浪人生活を経て、大学入学と同時に19歳で一人暮らしを始めましたが、その後の4年間はひどいものです。

 

 入学2日目でさっそく中退したくなりました。環境がこれまでと違い過ぎて、僕には華やかすぎて戸惑いました。

最初から授業にもあまり出席せず、サークルもせず、バイトも続きませんでした。結局4年間で4分の1も出席していないと思います。

何かを求めて韓国へ短期留学をした際は、カジノで全額スッて帰国しました。

ゼミは2回行って辞め、卒論を書かずに卒業しています。(僕が通った大学は途中留年がなく、ゼミを落としても卒業可だった)

 

 

親に依存して、学費も払っていただいていたから、なんとか卒業しました。  唯一良かったことは、数少ない友達の影響で読書を始めたことです。今でも大切な趣味のひとつなので、その点はほんとに感謝しています。

 

 

【化けの皮が剥がれ、社会不適合者に】

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就職は卒業前の2月に適当に決まりました。不動産会社です。3回生でゼミをやめる時に、代わりに不動産関係の資格を取っていたので簡単に決まりました。(こういうところが器用なところです)

しかし丸1年で退職。内心は、僕はビジネスに興味がないしお金をもらってもつまらない仕事はしたくないと思いました。でも正直に自分の意見を言う勇気がなかったので、無理矢理に診療内科でうつ病の診断をしてもらって退職しました。どうやったら、うつ病と診断してもらえるか、ネットで検索していたことを覚えています。しかも自分から退職を言わずに、上司から薦められるように話を持っていく姑息な選択をするクズぶり。

 

そのあとはバイトをしながら正社員の仕事を探しましたが、仲間に恵まれたこともあって、なかなか離れられず、就職が決まってもすぐに辞めて元のバイト先に戻ったりしてダラダラ過ごしていました。

 

そうして年を重ねるにつれ、器用さが通用しなくなってきていました。誤魔化し続けてきたせいで、何をしてもスキルが一定水準以上に上がらないんです。しかもそれなりにうまく生きてきたせいで、上達しようと努力もしない。だから伸びしろがない。

 

 そして気づいたら20代後半・・・。

  

 

【天職発見、人生の転機!?】 

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 27歳のころ、僕はDVDのレンタルショップ(何社目か数えるのもめんどくさい)でバイトをしているときに、正社員の仕事を探してハローワークに行きました。何となくヘルパーの資格を取りに学校へ通っていてちょうど取り終わった時でした。

 

たまたま家から徒歩5分のところで障がい者福祉施設の新規立ち上げがあり、ヘルパーの募集をしていました。具体的には、介護保険(高齢者)ではなく、主に身体障がい者と知的障がい者の自立支援をアシストする仕事で、施設型・在宅訪問・移動支援など総合的な支援を行う事業所です。勢いで応募し、一週間後には働き始めていました。

 

ここで出会った後輩たちや上司、同僚、たくさんのことを諦め困難を受け入れてきた利用者さんたちと出会えたことは、僕の財産です。感謝しかありません。

 

このころから自分の人生に向き合い始めたように思います。

 

ようやく何でも他者や環境のせいにしていた自分自身に少しずつ気づくようになりました。また、利用者さんの人生と自分の人生を重ねることが多くなり、深く考える機会が増えました。

 

ある日友達と楽しく海に泳ぎに行きました。岩場から飛び込んだら意識を失って、目が覚めたら病院のベッドの上。首から下が全く動かない・・・。先生に話を聞くと、頸椎を損傷していてもう二度と動かせるようにはならない。

 これはある方の二十歳の出来事です。

 

 そのほかにも、精神疾患から自殺するも失敗して下半身不随になった方や、何回聞いても覚えられないようなドイツ人の名前が付いた難病の方もいました。 そのような状況を受け入れて生きている人たちが、僕の目の前にいました。

そして自分の人生はなんて薄っぺらいんだろうとよく思いました。

  

最高の仕事と仲間に巡り合えたにもかかわらず、 どこかで満たされないと感じていました。そしてそんなときに投資に興味を持ちました。 投資はすべて自己責任です。他人の人生に責任は持てないけれど、せめて自分の人生には責任を持つ決心ができました。会社に対する不満がなかったこともあり、なかなか決心がつきませんでしたが、4年半で退職して現在住む奈良の田舎に引っ越しました。ある程度投資に集中できる環境を確保するためと、自由に働くためです。

 

 (僕の仕事やら奈良へ来た細かい経緯は、過去の記事を参照ください)

 

 これもまた人生の転機だと思うのですが、奈良に来て半年ぐらい経ったある日、投資関連でなんとなくYouTubeをサーフィンしていて「人生投資家チャンネル」というものに出会いました。人生の本質を言語化してくれていて驚きました。

 

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 実は人生投資家チャンネルを通して、エデンさんと直接お話させていただいたことがあります。その時に(僕のツイートやリプに目を通していただいて)こう言われました。

 「○○君(僕)は、自分を目一杯高く見せようと背伸びをしている。素直に嬉しいなら喜べばいいし、悔しかったら悔しがればいい。」

 

 一撃で心を打たれました。   

 

【今の自分、これからの自分】f:id:tsumuri1431:20190504023315j:plain

 正直に。

自分が今どこにいて、何を目指しているのかはわかりません。

明確な将来の目標や夢を持っていきている方はほんとにすごいと思います。

 

 僕は自由を奪われるのがとても嫌いな人間です。

 

 ある意味では、いまのびのび生きていてとても幸せです。 そして自分が幸福でいることで周りの人たちが幸福になっていくんだ、ということをひしひしと実感しています。目先は株で勝つことを目標にしていますが、四苦八苦しています。でも自分で選んだ人生ならそれが楽しいし、ドラクエをやってるようで生きている実感があります。

  

 多分読んでくださっている方の中には、先のことが不安であったり、満たされない生活を送っている方がいると思います。でも大丈夫です。こんな僕のような人間でもそれなりに楽しく生きることができるようになりました。

 

もしも、あなたに何かやりたいことがあったり、仕事が嫌だったり、どうしようもなく辛いなら、一回そこを抜け出せばいいです。そこはあなたの人生を投資する場所ではない可能性が高いです。おそらく逃げるのが正解です。

 

小さなこと、例えば「明日一日だけ仮病を使って休んでみる」ぐらいから始めてみませんか?

 

 

(僕のように何の実績もない方でも、人生投資家Programの限定動画を一通り視聴すれば、きっとあなたの背中を押してくれるはず。人生変わります。) 

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 自分という資をどこに投じるか。

僕はまだ模索中です…。

   

 

長々と最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 

末永くよろしくお願い致します。